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東京高等裁判所 昭和55年(行コ)117号 判決 1982年5月27日

控訴人

小野正春

右訴訟代理人

小泉征一郎

川端和治

久保田康史

古瀬駿介

被控訴人

右代表者法務大臣

坂田道太

右指定代理人

小野拓美

外二名

右当事者間の東京高等裁判所昭和五〇年(行コ)第一〇号図書閲読不許可処分取消請求控訴事件につき同裁判所が昭和五一年七月一九日に言い渡した判決に対し、被控訴人から上告の申立てがあり、最高裁判所第二小法廷は、同裁判所昭和五一年(行ツ)第一〇一号事件として審理のうえ、昭和五五年一二月一九日に右判決中被控訴人の敗訴部分を取り消して右部分を東京高等裁判所に差し戻す旨の判決を言い渡したので、当裁判所は、更に審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

訴訟の総費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一当裁判所は、控訴人の本訴請求を失当であると判断する。その理由は、次に附加、証正するほかは、原判決の理由と同一であるから、その記載を引用する。

1  控訴人は、原判決には本件不許可処分当時における集団公安事件の発生及び当該被告人らのいわゆる統一公判要求に関し、当事者の主張しない事実を認定した違法があると主張するが、右のごとき間接事実を認定するには当事者の主張を要しないから、その認定に違法のかどはない。

2  原判決二四枚目裏九行目の「諸条項」を「一九条、二一条及び三一条」に改め、一〇行目の「い。」の次に「のみならず、法律による行政の原理に違反するものでもない。蓋し、法律の規定が千変万態の行政をくまなく覆い尽くすことは、不可能でもあるし不適当でもあるので、その具体的内容を命令に委任することは、立法による行政の原理の当然許容するものであるというべきところ、監獄法三一条二項は、憲法の前記諸条項との関係において、在監者に対する文書、図書の閲読の制限という一定事項につき、前記の趣旨でその具体的内容を定めることを命令に委任したものと解すべきであつて、このような制約をこえて無制限、無限定の委任をしたということはできないし、ましてやこれをうけた監獄法施行規則八六条が通達類に白紙委任しているとは到底解せられないからである。なお、控訴人の引用する国連会議の決議にかかる「被拘禁者処遇最低基準規則」が、法的に我が国内法規なしいその解釈運用を拘束するものでないことは明らかであるから、その存在によつて右判断が左右されるいわれもない」を加える。

3  同三二枚目表七行目の次に行を換えて左のとおり付加する。

「5 別表番号39番の本件通達類について

前出甲第一号証(本件雑誌)によれば、本件通達類の部分は、全文一二四頁から成る本件雑誌中三九頁から六五頁までの二七頁にわたつており、そこに本件通達類が他の記事と区別されて一括掲載され、その内容は、四一頁中段から四二頁中段までに載せられている「被拘禁者処遇最低基準規則」(国連会議における決議で、被拘禁者の処遇について定めたもの。)の抜粋のほかは、監獄収容者の処遇ないし取扱いに関する訓令、通牒、通達であり、その中には被控訴人主張二の2の(一)ないし(四)に摘記されている内容のものが含まれていることが認められる。

ところで、右訓令、通牒、通達は監獄法令の適用、実施にあたつての職務上の指示ないし指針であつて、その性質上もともと収容者の目に触れることを前提として作成されたものではないから、これを収容者に閲読させるときは、無用の誤解を与え、ひいては不安、動揺の原因ともなりうるものと考えられる。しかも、本件処分当時中野刑務所に収容されていた控訴人を含む集団公安事件関係の被告人らの収容状況はさきにみたとおりであるから、このような被告人らに本件通達類の部分(前記「被拘禁者処遇最低基準規則」を含む。)の閲読を許すときは、他に特段の事情がない限り、その趣旨を曲解し、刑務所職員に対し共同して規律違反行為に出ることが容易に予想されたというべきである。

そこで、次に、右被告人らが本件通達類の部分の閲読を許可されてもその趣旨を曲解し刑務所職員に対し共同して規律違反行為に出ることが予想されない特段の事情があつたかどうかについて、控訴人の主張に則しながら検討を加える。

(一)  控訴人の主張四の1について

本件処分当時控訴人を含めて中野刑務所に収容されていた集団公安事件の被告人らで、本件雑誌の差入れをうけた者が、いずれも独居拘禁に付されていたことは、原審証人小松孝雄の証言及び当審における控訴人本人尋問の結果によつて認められるところであるが、さきに認定したように、これら被告人らは、連帯意識が、非常に強く、何かのきつかけで一人が大声で叫ぶと次々と他の者がこれに呼応して大声を出し、シュプレヒコールをあげ、あるいは房扉、房壁、便器、洗面器等をたたき、床をふみ鳴らすなど相呼応した規律違反行為を連鎖的に波及させていたのであり、のみならず、前出乙第六号証によれば、舎房の窓越しに声を通じさせることも可能であり、実際にも行われていたことがうかがわれるのであるから、独居拘禁に付されていたという一事によって、このような被告人らが相互に意思を通じあうことが不可能であつたということはできず、当審における控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分はたやすく措信しえない。

(二)  同四の2について

控訴人を含む右被告人らが、いずれも高度の知性と教養の持主であり、かつまた、高邁な理想の実現のために闘う強い正義感の持主であつたことの確証はないが、かりにそうであつたとしても、その中野刑務所内における現実の姿は、さきに認定したとおりであるのみならず、前出甲第一号証、同乙第六号証、当審における控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、右被告人らは、同刑務所内においてすら監獄法撤廃を一つの目標としてかかげ、獄中闘争の名で刑務所外の運動とも連帯して強力な闘いを遂行しようとしていたことが認められるので、たとい知識として控訴人主張のような混同や誤解のおそれはないとしても、意図的に戦争直後と本件処分当時、「連合軍」と「アメリカ合衆国軍隊」を重ねあわせて曲解し、共同して刑務所職員をいわれなく論難する挙に出ることはたやすく予測されるところであつたといわなければならない。

(三)  同四の3について

本件処分当時中野刑務所内に収容されていた被告人らが、共同して規律違反行為を犯したのは、控訴人主張のように、単に外部の闘争のニュースに対するシュプレヒコールや刑務所外を通るデモ隊のシュプレヒコールに呼応するシュプレヒコールに限られたわけではなく、前出乙第六号証によれば、他房のシュプレヒコールに異議なしと呼応したり、ラジオの番組の変更や放送の中断あるいは閉房点検を契機として、床を蹴り、房壁を叩き、口笛を吹くなどの所為に及んだことが認められ、また、前認定のとおり、右被告人らの連帯意識は極めて強いのみならず、監獄法撤廃、獄中闘争をかかげて刑務所外の運動とも連帯していたのであるから、些細な刺戟も共同規律違反行為を惹起する可能性の顕著な客観状勢下にあつたものというべく、右被告人らのシュプレヒコールの限られた態様のみをとらえて、本件通達類の閲読許可があつても共同規律違反行為に出るものとは予想できないとする控訴人の主張は、到底採るをえない。

(四)  同四の4について

東京拘置所及び府中刑務所において、本件処分当時相当数の公安関係被告人が収容されていたこと、とくに府中刑務所においては、昭和四五年九月三日付で、本件雑誌が、少なくとも本件通達類の部分について抹消もしくは切除されることなく閲読許可になつていることは、成立に争いがなく、かつ、朱線で囲んだ部分が昭和四五年九月府中刑務所で訴外奥山貞行が同誌の交付をうけた際抹消されていた部分であることに争いのない甲第二号証、原審証人高橋マリの証言及び当審における控訴人本人尋問の結果によつて認められるが、その閲読許可のために、共同規律違反行為が誘発されたということはなかつたとの確証はない。仮りに東京拘置所及び府中刑務所において右共同規律違反行為が一切なかつたとしても、このことをもつて直ちに控訴人主張の特段の事情の一つとすることはできない。蓋し、当時における東京拘置所あるいは府中刑務所の具体的状況、すなわちその職員数、収容状況、所内秩序の状況等が中野刑務所のそれと客観的に同一又は類似であつたことを認めるべき資料はないのであつて、(ちなみに、当審における控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、当時府中刑務所が収容していた公安関係被告人の数は、中野刑務所の二分の一以下であったことが、うかがわれる。)、具体的状況を異にする刑務所を比較して論ずるのはその前提を決くといわなければならないからである。

以上みてきたとおり、控訴人の主張する事情は、いずれも前記特段の事情ということはできず、他にかかる特段の事情を認めるべき証拠はない。」

4  同三三枚目表一一行目の「ところで」の次に「本件通達類の部分二七ページを別としても」を加える。

5  同三六枚目表七行目の「記事」の次に「並びに収容者に対する処遇及び取扱いの指示、指針を示した本件通達類」を加える。

二  以上のとおりであつて、控訴人の本訴請求を失当として棄却した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、訴訟の総費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を各適用して、主文のとおり判決する。

(川添萬夫 高野耕一 相良甲子彦)

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